工作・産業機械の総合機能商社 株式会社兼松KGKの 2000年代ページ

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2000年代

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KGKのあゆみ

アジア市場への展開と産業機械や製造分野への参入

《アジアへの初期展開》

1997年10月、Kanematsu KGK(Malaysia) Sdn. Bhd.をマレーシアのクアラルンプール近郊に開設しました。マレーシアでは、駐在員、現地社員が直接ユーザーを廻り先端技術で有名な日本製の放電加工機や樹脂成形機を販売していました。主な販売先業種は家電、半導体、PC関連の金型製造企業など多くがありました。
マレーシアには、日本の大手家電メーカーが既に進出し、クアラルンプール近郊にエアコン工場を持ち、大量生産が行われていました。ここは当時、アジア全体の供給基地として知られていました。
エアコンの熱交換器にはプレスで生産されるフィンが重要な部品です。フィン製造の金型各部品はミクロン単位の超精密加工を必要とし、且つ順送りの金型全体は約700㎜幅のアルミ薄板を高速・連続で打ち抜くため超高精度な総合品質に組上げ完成されていなければなりません。その技術を持つ企業は世界でも限られおり、わが社への商権と事業タイアップを頂き専門技術者1名の常時駐在を受けていました。保守・修理サービスを現地で対応するとともに、フィン生産ラインを日本からマレーシアへ輸出するなど特定の大手家電顧客をはじめ、他の家電製造企業などへの営業展開を行っていました。

アジア市場への展開1
(写真:エアコン用フィン製造プレスライン)

アジア市場への展開2

アジア市場への展開3

1997年12月、タイのバンコクに駐在員事務所を開設しました。当時タイ国では既に有数の日本企業が進出しており、わが社としてもエアコンメーカー各社を中心に日本から事業展開しておりました。わが社としては、物を売るだけでは今後弱いと判断し、駐在員事務所を開設して1名の常駐を開始しました。
こうして、マレーシア、タイを拠点にアジアへの進出を開始しましたが、その前に想定外の案件が発生していました。
1997年8月、タイ政府はIMFに対して支援要請を行い、これがアジア全体を巻き込む通貨危機へと発展したのです。その発端は、米国機関投資家へのヘッジファンドを利用した東南アジア諸国通貨の空売りであったとの事でした。
タイの通貨であるバーツは下落が続き、同様に、マレーシアの通貨であるリンギットもヘッジファンドによる空売りのため、大幅に落ち込みました。通貨危機は、東南アジア諸国の経済、工業を直撃しました。
東南アジアの景気はその後もなかなか回復の兆しを見せませんでした。アジア経済の凋落ぶりも目を覆うばかりで、一考に回復基調が見られない中、国内においては、雇用不安に伴う消費者マインドの低下で依然、個人消費の低迷が続く様相でした。

1999年3月期、売上高は、631億円と堅調維持しておりましたが、2000年代初頭の半導体不況と、その後始まった「世界の工場としての中国」への生産拠点のマレーシアから移転等の影響を受け、2009年にマレーシアの現地法人は閉鎖のやむなきに至りました。

《産業機分野へ本格参入》

2000年、公共投資や住宅投資によって、ようやく景気は回復基調に入りました。日本経済は回復に向かって来たものの、その波が工作機械業界におよぶまでには至りませんでした。工作機械業界の年間受注総額は、7566億円と1995年以来の落ち込みぶりでした。
わが社の2000年から2003年の4年間の売上高も、340億円から450億円の規模と停滞し、沈滞したわが国経済をそのまま反映するように苦しい状況が続きました。

こうした企業を取り巻く厳しい環境を乗り越えようと各社では知恵を絞っており、その一環として、組織の構造改革を検討、着手する企業が増加していました。
その流れのなかで、メディア関連機械、食品加工機械などを扱う兼松グループの産業機械の商社をわが社の子会社とし、いずれ統合するとしました。

2000年10月、その産業機械商社が、わが社の東京本社に移転。PS(プロダクトソリューション)部門の胎動が始まりました。2001年3月、及び2002年4月に手続きを経て兼松グループ産業機械の商社2社がわが社に正式に統合されました。 多岐分野にわたる産業機械は、食品と非食品の大きく2分野に分かれます。食品関連では、製パン・製粉設備、飲料用ボトル・チューブ製造設備、ハム・ソーセージ製造設備を取り扱います。非食品関連では、パーティクルボード製造設備、繊維機械、不織布製造設備、セラミックコンデンサー設備、プラスチック成型機、物流設備、太陽光モジュールを取り扱います。これらを主体に、産業機械本部(PS本部)として事業をスタートする事となりました。

こうして産業機械本部が加わり、「工作機械から産業機械全般を扱う機械専門商社として、これまでの各部門の強みを生かしつつ、さらに有機的なビジネス展開を行っていく」こととなりました。

《アジアへの展開を強化》

2002年8月、タイのバンコクにあった駐在員事務所を現地法人化し、KGK Engineering (Thai) Co., Ltd.を設立しました。
同年11月には、中国の上海に駐在員事務所を開設しました。
2004年6月、兼松開吉開貿易(上海)有限公司を中国に設立しました。
その後、2006年8月、中国に兼松開吉開商貿(上海)有限公司を新たに設立しました。

兼松開吉開商貿(上海)有限公司が入居するビル
(写真:兼松開吉開商貿(上海)有限公司が入居するビル)

同時期、大連に兼松開吉開分公司を設立し、広州にも分公司を設立しました。中国は巨大なマーケットです。わが社は、ローカルを開拓しよう、ということで、上海のほかに大連、広州と拠点を置きました。本格的に内陸を開拓するのであれば、これではまだ足りない、というのが現場の率直な感想でした。内陸はまだ途上の所も多いのですが、工場の経営者には、日本製の機械は高いけれど品質がよく、故障も少ない、と信用されていて、結構な需要はあったのです。

《いざなみ景気と海外法人拡大展開》

2004年あたりから、景気に回復の兆候が現れてきました。
日本工作機械工業会の発表した2004年度の業界全体の受注総額は、1兆2363億円で、7年ぶりに1兆円を突破しました。翌2005年度も1兆3632億円と続伸する結果となりました。
これを受けて、わが社の売上高も、2005年3月期は約511億円と増収となりました。2006年3月期、売上高は、約552億円とようやく回復をみせてきました。

この間、2004年12月には、子会社として株式会社KGKエンジニアリングを設立しました。「メンテナンス、修理を行い、付加価値を高めることで他社との差別化を図る」ことが目的の会社です。

国際規格の認証取得や環境保護の注目度が世の中で高まるなか、2005年9月、東京本社ならびに名古屋支店が「ISO14001」環境マネジメントシステムの認証を取得しました。

2006年、日本工作機械工業会による通年の工作機械受注は、1兆4370億円と、史上最高額を記録しました。
これを受けて2007年3月期の売上高は、594億円となりました。
当時、わが社は海外取引の拡大を進めていました。

2007年6月、チェコ共和国のプラハにKGK Czech s.r.oを開設しました。 当面は長年培って来たチェコ製機械の輸入を主体として、将来的にはロシアとの取引も視野に入れ、中・東欧さらにはヨーロッパ全体をにらんだ展開を考慮したものです。
2007年10月、ベトナムのハノイに駐在員事務所を開設しました。
南部のホーチミンは既に日系企業を始めとする産業が伸張を見せていた市場背景から、わが社は、弱電・家電関連や自動車関連が多い事をにらみ北部への展開を図りました。

《太陽光発電関連事業》

2007年は、工作機械受注総額は通年で1兆5899億円となり、前年を更に10.6%上回って、史上最高記録を更新しました。
わが社の2008年3月期の売上高は、約633億円を計上し、ようやく10年前のレベルまで回復しました。

2008年4月、太陽光発電関連事業を主体としたTS本部を新設しました。従来からの本部である工作機械を中心としたFS本部と産業機械を中心としたPS本部、新設のTS本部と3本部体制としました。
同年8月には、子会社として取引先と合弁で㈱KGKソルテックを設立、太陽電池のシリコンウェハー加工製造会社としてスタートしました。前年に「新規事業の基盤強化」として、2004年よりTS本部の草分け的存在であるエネルギーグループにて営業を開始した太陽電池メーカーの旺盛な需要に応えるべく、設立したのが㈱KGKソルテックでした。

いざなみ景気と海外展開1
(写真:KGKソルテックとシリコンインゴット)

いざなみ景気と海外展開2

KGKソルテックの加工設備風景
(写真:KGKソルテックの加工設備風景)

ところが、㈱KGKソルテックが発足してわずか1カ月後、予期せぬ出来事が襲いました。

2008年9月、アメリカの投資銀行リーマン・ブラザースが約6000億ドルの負債を抱えて倒産しました。これがアメリカにバブル崩壊をもたらし、世界的金融危機を引き起こしたリーマン・ショックが発生しました。
一転して、自動車産業を中心とする急速な減産の動きなどが、大幅な雇用調整に繋がるとともに、製造業における設備投資の話が極端に落ち込む結果となり、わが社もこれらの影響を大きく受けました。2009年3月期の売上高は、528億円と激減しました。

わが社は各本部において既存ビジネスを見直し、新規商権の獲得等の取捨選択を進め、また本部間のシナジーを高めることにより、各本部が自立した収益体制を構築するように方針が打ち出されておりました。そのさなかで検討の対象となったのはTS本部でした。TS本部のシリコンウエハーの加工事業は、素材の優位な入手性や大量生産を行う中国の台頭が大きな要因となり、わが社の取引先の太陽光パネルのビジネス自体が価格暴落のいちじるしい変化に晒される事態となりました。本部としての維持が難しい状況に陥ったことにより、2010年4月、エネルギー事業部として組織上の位置づけを変更し、規模縮小を行い、再出発・建て直しをすることとしました。

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