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コンピュータ利用技術・自動プログラミングシステム・タムの展開

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KGKのあゆみ

コンピューター利用技術・自動プログラミングシステム・タムの展開

コンピュータ利用技術・自動プログラミングシステム・タムの展開
(写真:タムの教育指導風景)

コンピュータ利用技術・自動プログラミングシステム・タムの展開

KGKマシンツール1992の展示会場にて
(写真:KGKマシンツール1992の展示会場にて)

1982年3月、わが社の本社の近隣であった、東京都練馬区豊玉中にKGK・NCセンターをオープンしました。1Fのショールームには、タム2台、NCフライス1台、マシニングセンター1台、NCルーター1台などを展示し、2Fは会議室、応接室として長テーブル、オーバヘッドプロジェクターやVTRなど講習・視聴覚設備が整えられていました。

NCセンター東京練馬区
(写真:NCセンター東京練馬区)

この時代、工作機械は急激なNC(数値制御)化が進み、生産現場は、FMS(フレキシブル生産システム:コンピューターによる制御、ロボット化による無人化、自動生産体制)化してゆくという動きに対応するために開設したものでした。

1983年8月、かねてからわが社が総代理店であった、3次元自動プログラミングシステムメーカーのタム株式会社を系列子会社に加えました。1980年より既に販売実績は拡大していましたが、タム株式会社の株式を取得して、同社の生命線でもあるソフトの新規開発に、より多くの人材と資金を注入できる体制としました。 タムの組織は、社員総勢53名でした。営業部、開発部、営業技術部、顧客管理室、経理部等から成り、同年11月には研究部を新発足しました。この研究部はアルゴリズムを数学的に解析し、新しいソフトの基本形を作る重要な役割を持っていました。
名古屋支店は、中区丸の内にある長銀ビルから、1986年8月に名東区高社に移転する際に、1Fにショールームを持つ事務所にこだわってオーナー様に新築していただいたビルに入居した経緯があり、こだわった理由は工作機械の展示もさることながら、自動プロ・タムの常設展示や、デモ・教育のためでした。この様に力を入れた商品でした。

わが社が毎月100台を超えるNC工作機械を販売する中で、お客様は上手な使い方を常に求め、さらにコンピューターによる設計(CAD)やコンピューターで工場全体を稼働させ、無人化する方法(DNC、FMS)などを積極的に取り入れ始めようとする時代でした。 NCセンターとして色々な事を研究してゆきますが、一度に全ての事は出来ないため、NCテープに代わるコンピューターの利用技術(ソフトウェア)の開発を中心として金型加工法を重点におき、商品をご紹介・提供してゆきました。
具体的には、NC工作機械を動かすプログラミングは紙テープにパンチャーで穴を明けて打ち出されたものを制御装置に読み込ませるというものでした。紙で打ち出すプログラミングは一つの数値、指令コード、プログラム行の穴を間違えても機械は誤動作し、衝突し得るリスクを伴うものでした。プログラム修正にも繊細な手間を要するため、加工工程全体を最初から考え時間を掛けて作成すべき代物でした。
暫くして7インチフロッピーディスクが登場し、やがて5インチフロッピーとなるのですが、まだ磁気媒体の出回っていない時代でした。
CAD/CAMの無い時代、タムは2次元半、そして3次元の金型を加工するためのCAMでした。コンピューターシステムの利用技術として、2次元のX軸とY軸に、高さのZ軸を加えた3次元形状の金型のNCデータが作れるのが大きな特徴でした。
当時数値データで高精度立体金型の機械加工を可能にしたことは、金型製作の効率を飛躍的に向上させました。お客様には、自動車産業、家電産業、航空機関連作業など幅広い業種で、全国に採用いただきました。

ところで1992年頃には、ソフトウェア技術の進歩や、ハードの置き換わり共に変化が大きくなり自動プログラミングシステムの競争の構図は大きく変わってゆきました。 その後、1995年9月に事業譲渡いたしました。

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